明神峠の燈明杉
明神峠の燈明杉
- 私の住んでいる地域の民話 明神峠の燈明杉
中国山地の峰々が連なる南の端に、千代田町本地(現 北広島町本地)があります。
本地と広島市の北端にある鈴張とが境を接する所に丸押という山里があります。
この山里の明神峠に、燈明杉と呼ばれる大きな杉の木がありました。
安芸の宮島で有名な厳島神社がまだできていなかったころと言いますから、
随分と遠い昔のお話です。
朝から小雨が降ったり止んだりする小寒いある夏の日暮れのことでした。
出雲の国に通ずる山道を 北のほうから若い女の人が、あかごを抱いてひょろひょろと力なく本地にやってきました。
その女の人は本地にたどり着くと、家々の戸口に立っては「朝から何も食べておりません、あかんぼうにも乳を飲ますことができません。どうか 少しなりとも 食べ物をめぐんで下さいまし。」と丁寧にたのみました。
けれども どの家でも何もめぐんでくれませんでした。女の人は しかたなく、あかごを抱いたまま また南の方に向かって歩きはじめました。
日はすでに西の空に沈んでいました。長い時間かかってようやく、本地と鈴張との村境の明神峠にある大きな杉の根もとにたどりつき、ぐったりと体を横たえました。体を横たえると疲れがどっと出て、深い眠りに落ちました。
この杉の木の近くに、八十近い老婆が住んでいました。その朝、老婆は 明けの明星を拝もうと家の外に出て あっと驚きました。峠の大杉の梢から光がさしているのです。老婆は何十年も明けの明星を拝んできましたが、こんなことは、今まで見たことがありません。
あまり不思議だったものですから、老婆は大杉のそばに行ってみて、二度びっくりしました。大杉の根もとに あかごを抱いた女の人が眠っていたのです。女の人もあかごも死んだようにぐったりしています。呼んでも目を覚ましません。
何度目かに やっと目を覚ましましたが起き上がれません。「おお、おお、かわいそうに。きっとおなかがすいているんじゃろ。待ちなされ、今ありあわせのものを持ってきてやるから。」と言って、老婆は急いで家に戻り、アワがゆを持って戻ってきました。
女の人は丁寧にお礼を言って、自分とあかごの口にアワがゆを入れました。「おいしい、こんなにおいしいアワがゆをいただいたのは初めてです。」
女の人は目に涙をにじませて、また礼を言いました。
女の人は、老婆に問われるままに話しました。
「わたしは出雲の国から 瀬戸内海の地方に行く途中ですが、昨日の朝、山賊に襲われてみんな取られてしまいました。道々、食べものをめぐんでくれるように頼みましたが、どの家もめぐんでくれませんでした。私もこの子も疲れ果てて、このように眠り込んでいたところでございます。」
アワがゆを食べ終わると女の人は、「わたしは瀬戸内の国々がうまくいくように、出雲の国から手だすけにまいったものです。わたしの役目が果たされたら、大杉の頂きから 今夜のように燈明が射し、杉の根もとから湧き出てくる泉は、母の乳のかわりになるでありましょう。」
と、お告げのような不思議なことを話して、お婆さんに何度も礼を言いながら、峠を下って行きました。
それから一年たちました。その夜、大杉の頂きから光が射しました。
このことがあってから、丸押の人々は、この女の人を 明けの明星の神様、「明神さま」と言い、この峠を「明神峠」と呼ぶようになりました。
そして、女の人とあかごが眠った所に社を建て、明神堂として祀りました。
- 大杉の根もとから湧き出る清水を飲むと、たくさん乳が出るようになるということで、しばらく前までは明神さまにお参りする女の人で賑っていましたが、今は お参りする人も少なくなりました。峠を走る国道261号線沿いの、こんもりとした小さな森に、明神社はひっそりとたたずんでいます。
- 明神社の言い伝え
厳島明神がこの峠でお休みになったとか、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が出雲の国へ行く途中、ここでお土産のハマグリに水をやったなどの話が残っています。それらをあわせて考えると、先の話の若い女の人は、市杵島姫命 かもしれません。官を作るにふさわしい場所を求めて、市杵島姫命が旅をしたという伝説は、各地に残っています。
他に、もともと道行く人を災いから護る(サイノカミ)を祀ったものだという言い伝えもありますが本当のことは分かりません。