ピアノ調律は,広島市はもとより,広島県内全域何処でもお伺いさせて頂いております。
洋琴庵は 広島県の山間にある小さな ピアノ工房です。古いピアノ,ネズミの住処になっていたピアノ,どんなピアノでも 修理再生します。
久保田義雄「Rain」
- 久保田義雄「Rain」
1979(昭和54)年。バンドを辞めて調律師を志し静岡県で
生活していた頃、「義雄がCBS SONYのコンテストで
グランプリを受賞したぞ」と同郷の友人から聞いて驚いた。
すげー!っていうのと、やっぱりね、という思いが混ざり
興奮したことを覚えている。
「南風」解散後、義雄に誘われ「久保田義雄とトロピ
カルダンディーズ」で私はリードギター担当でした。
その時の曲が「Rain」です。
2年間という短い活動でしたが青春の1ページとして
記憶に刻まれてます。
以下、同郷(中村高校で2学年違い)の音楽プロデューサー
M氏のブログから抜粋しました。
(勝手にすみません、不都合だったらメール下さいね(^^;))
- 久保田義雄さんは当時のCBS/SONYのコンテストで
グランプリを取られているそうです。
SONYはまっ、僕のバンド「カステラ」も所属していま
したし、発掘の部門SD事業部との関わりは何回かブログ
で書きました。
おそらく久保田さんはSD関係のコンテストでグランプリ
を取られている筈です。と言うのは当時の、今でもか
SONYの発掘は一貫してSD事業部の手によって行われて
いるからです。
SDのコンテストで入賞するとレーコード会社の
「育成アーティスト」になります。これは尾崎豊以前から
ずっとSONYのアーティストが経験する作業です。
カステラやその前年のX(エックス)等はバンドとして完成
していたのでこの手順は踏んでいませんがソロアーティスト
は例外なく育成期間があります。
つまり久保田さんはメジャーデビューが約束されていながら
その話を「蹴った」と言う事になります。
当時すでに御結婚されていて不安定な音楽の世界には飛び込
めなかったのでしょう。
男の決断でかっこいい話だと思いました。
今なら結婚とデビューを分けて考えられますが当時の音楽業
界の状況では少し難しかったであろう事は僕も理解できました。
結果的にはメジャーデビューしていなくても久保田義雄さんの
楽曲は今でもキチンと僕等の町に残っています。
やっぱり良いですよ久保田さんの曲は。
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